タイガーマスク誕生前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:44 UTC 版)
新日本プロレスから「タイガーマスクの映画を撮るので、帰国して欲しい」という連絡を受ける。当時のイギリスでの佐山はサミー・リーとして大変な人気で、マーク・ロコ(後のライバル、初代ブラック・タイガー)とのタイトルマッチを目前に控えていたこともあり帰国を断るが、「1試合だけでいいから、アントニオ猪木の顔を潰さないで欲しい」と説得され帰国。 後の新間寿の証言によると、佐山は新間の説得を受けて帰国に踏み切ったがイギリスの税金の未払いがあったため、新間は元総理大臣であった福田赳夫に掛け合ってロンドンの日本大使館とイギリス政府と外交交渉の末帰国させたという。 こうして、タイガーマスクとしてリングに上がるが、渡されたマスクやコスチュームの出来の悪さに泣きそうになったと、後に回想している(これはデビュー戦の相手を務めたダイナマイト・キッドも同様のコメントを残している)。新間によると、マスクの発注を忘れてしまい、直前にスタッフが既製品を改造して短時間で作り上げたものであるという。
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