ソウルの中の江南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:16 UTC 版)
「江南区 (ソウル特別市)」の記事における「ソウルの中の江南」の解説
この付近は高麗時代の広州に相当する地域で、本来、ソウル市の中央部を流れる漢江の南の一帯を「江南」、北の一帯を「江北」(カンブク、강북)と呼んだが、現在では富裕層の多い瑞草区より東の一帯を「江南」と呼ぶことが多く、また特に江南区、瑞草区あたりを指すことも多い。 70年代から80年代にかけての政府主導による江南の住宅開発・オフィス開発の勢いは激しく、1970年ごろまでは江北と江南の人口比は8対2であったが、1990年にはほぼ5対5にまで並んでいる。また江北にあったソウル高校や京畿高校など名門校の江南への移転も進んだため、大学進学に有利な名門高校を擁する江南地区の学区に上流階級や富裕層が集まった。現在ではソウル市内のみならず韓国全土から江南に移住し有利な学区に入ろうという家族が後を絶たず、江北から江南に本社を移す大企業や、最初から江南に本社をおく外資系企業も増えている。こうしたことから不動産投機や不動産価格上昇が起こっている。
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