ソウルの倭館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:01 UTC 版)
李氏朝鮮の都「漢城」(現在のソウル)にも通交を求めて来る日本の大名や商人がいた。ここには彼らを接待するための施設「東平館」が存在し、通称「倭館」と称された。これは純然たる接待施設で日本人が常に在住する居留地ではない。この倭館があった場所は「倭館洞」としてソウルの地名となり20世紀初めまで続いた。日本統治時代には大和(やまと)町と改称された。現在はソウル特別市中区忠武路となっている。
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