ゼノンの復位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/10 02:17 UTC 版)
詳細は「ゼノン (東ローマ皇帝)」を参照 476年に復位したゼノンの治世のときに西ローマ帝国から西ローマ皇帝の地位が消滅した。西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させたゲルマン人の傭兵隊長であったオドアケルから西ローマ皇帝の権限が東ローマ皇帝へ返上され、ゼノンはローマ帝国全土の単独皇帝となった。ゼノンはオドアケルにローマ貴族の地位と皇帝の代理としてイタリアを統治するイタリア領主としての法的権限を与え、一方でゼノンが正当な西ローマ皇帝としていたユリウス・ネポスを西ローマ皇帝として認めるよう要請した。元老院は西ローマ皇帝の完全な廃止を求めていたが、オドアケルが妥協して一応はゼノンの条件を受け入れた。しかし、結局ネポスが実権を取り戻すことはなく、ネポスは480年に暗殺された。ゼノンは後にオドアケルと対立し、テオドリック大王にオドアケルの討伐を命じ、帝国西部の支配権の再興をはかったが、果される前の491年にゼノンは病死してしまい叶わなかった。 ゼノンは治世のうちに数々の謀反の陰謀などがあったにもかかわらず、皇位にあるまま生涯を終えることに成功したが、民衆の信望も薄く、その治世は人気取りのためのばら撒き財政などに終始した。ゼノンが棺に納められた後に棺の中で息を吹き返したものの、皆がゼノンを憎んでいたため無視して(あるいは皇后アリアドネが開けることを許さず)そのまま葬られたという、彼の不人気を物語るエピソードがある。
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