セクンディノ・エスナオラ指揮時代(1902-1929)
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「オルフェオン・ドノスティアラ」の記事における「セクンディノ・エスナオラ指揮時代(1902-1929)」の解説
1902年、セクンディノ・エスナオラがオルフェオン合唱団指揮者に任命された。20世紀初頭は合唱コンペティションの数が花盛りの時代で、オルフェオン・ドノスティアラもこの波に乗って参加した。そして数多くの賞を獲得した結果、1906年にはフランスの賞「グランプリ・ドニュール・ドゥ・パリ」を獲得するに至った。 1909年、指揮者エスナオラはオルフェオンの未来を考え一つの変化を起こすことを決断した。成人女性の歌い手を入団させ、ややアルトな声域をミックスした。これは彼らのレパートリーをより広い地平に到達させ、コーラル・シンフォニーの領域へと踏み込んだ。ドノスティアの市民達は大きな期待を抱いて「ベッロ・ナヴィオ」合唱に耳を傾けた。そしてオルフェオンは初めてセニョリータ(少女達)とニーニョ(少年達)のバック・コーラスによって支えられる、男女混声三部合唱を披露した。これはまさに響き渡るように成功した。 この成功によってカジノ・デ・サン・セバスティアンで交響楽団と共演する機会を得たエスナオラと合唱団は、この舞台を統括した巨匠エンリケ・フェルナンデス・アルボスの知遇を得て、首都マドリードのテアトロ・リリコとテアトロ・レアルでコンサートを行った。ポルトガルでの国外公演を終えた1925年、マエストロ・ブランチ指揮でベートーヴェンの交響曲第9番がオルフェオンによって合唱された。これは1912年以来、オルフェオンが最も多く合唱している曲の一つである。
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