セイロン遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:13 UTC 版)
会社はカロンの功績に対し、1500ギルダーの株を与えることで報いた。1643年にはアジアでの新たな任務が与えられた。1月25日にオランダを出発し、7月23日にバタヴィアに到着した。到着前にバタヴィアにいたカロンの妻の江口氏は死亡していた。カロンは妻との間にできた6人の子女を「正規の」子女とする手続きを行い、3年後に認められた。 1643年9月、カロンはオリファント号に乗り組み、1700人の遠征隊(内陸兵950人)を率いて、セイロン島のポルトガル軍を攻めるためバタヴィアを出発した。12月20日にセイロンに到着。1月8日からネボンゴ(英語版)の砦近くに上陸し、翌日攻撃を開始した。戦闘は1日で終わりカロンは勝利した。カロンは占領した砦を補強し、守備隊450人を残して4月にバタヴィアに戻った。11月には休戦条約が結ばれ、オランダはセイロンのシナモン産地の割譲を受けた。
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