スーザ吹奏楽団と商業録音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 08:23 UTC 版)
「スーザ吹奏楽団」の記事における「スーザ吹奏楽団と商業録音」の解説
自らを「コンサートに生きる音楽人」と自負していたスーザは、レコードを評価していなかった。当時のアコースティック録音が、音楽の臨場感を伝えるにはほど遠いレベルだったことが第一の理由である。また当時の録音スタジオのキャパシティが20人程度であり、60~80名を擁するスーザ吹奏楽団を収容しきれなかったという理由もある。 しかし、レコード会社にとってはアメリカ国民に人気のスーザおよびスーザ吹奏楽団の演奏は、なんとしてもレコードカタログに加えたいものだった。そこで、スタジオミュージシャンによるバンドにスーザ吹奏楽団を名乗らせ、おびただしい録音が行われた。 この「スーザ吹奏楽団」はレコーディング用のバンドであり、実際にスーザが指揮してアメリカ国内で人気だったスーザ吹奏楽団ではない。しかし、このスタジオバンドのメンバーの多くは現役のスーザ吹奏楽団員やOBであり、指揮もそうした団員やOBが行うことが多かった。そして、テスト盤はスーザ自身が試聴し、OKが出たものだけが市場に出ていた。 したがって、今日CD等で聴くことができる「スーザ吹奏楽団」の演奏は、当時の真正スーザ吹奏楽団の音色や演奏、さらには幻となった「スーザ・テクニック」を偲び、研究するための貴重な音源資料といってよい。ただ、スーザ・テクニックにおけるバスドラムやシンバルの効果は、録音技術の限界で省略されているとされる。 上述のような、実体はスタジオバンドだったスーザ吹奏楽団の他に、1929年から始まったラジオ出演のために放送局によって編成された「スーザ吹奏楽団」も存在した。またスーザ吹奏楽団員だったアーサー・プライヤーが編成したプライヤー吹奏楽団が、スーザ吹奏楽団の名前でレコーディングしていた例も稀にあった。
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