スラヴ人による領有
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 06:54 UTC 版)
民族移動時代に、多くのゲルマン人がローマ国境に向けて移動し始めた。一方、北方領域ではゲルマン人に替わって主にスラヴ人(ヴェレト族、のちリューティチ族)が定住した。最初のスラヴ族は、アヴァール人がヨーロッパに侵入した後、720年までには確実にブランデンブルクに入ってきている。それらのスラヴ人はモラヴィア経由で入ってきているが、モラヴィアには7世紀半ばには到達していた。残ったゲルマンのセムノニ族はそれらのスラヴ人に吸収されていった。 シュプレー川沿いに定住した人々の集団はシュプレヴァン族として知られるようになる。彼らは現在のバルニム台地とテルトウにあたる、ハーフェル川とヌテ川によって形成される線の東側に定着した。また、ケーペニックのシュプレー川とダーメ川の合流地点に中心となる要塞を造った。ヘヴェリ族はその線の西側、現在のハーフェルラントとツァウヒェにあたる地域に定住した。彼らはハーフェル川の古ゲルマン語の名称である"ハブラ"(Habula)から"ハベリ"(Habelli)と名付けられたが、自らは"シュトドラニー"(Stodoranie)と呼んでいた。彼らは中心となる要塞を"ブレンナ"(現在のブランデンブルク)に建設した。ヘヴェリ族はベルリンのシュパンダウ要塞の地に広大な開拓地を作り上げた。シュプレヴァン族およびハヴェリ族は近隣のゲルマン人だけでなく、スラブ人とも戦った。
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