スラヴ人の南下・ブルガール人の西進(第一次ブルガリア帝国(7~11世紀))・南スラヴ人の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 16:46 UTC 版)
「マケドニア」の記事における「スラヴ人の南下・ブルガール人の西進(第一次ブルガリア帝国(7~11世紀))・南スラヴ人の形成」の解説
この東ローマ帝国中期、スラヴ人の南下やブルガール人の西進に伴い、追いやられるようにマケドニアのギリシャ人も南下したことで、南スラヴ人がマケドニアの多数を占めるようになった(後世・現在のマケドニア人の祖にあたるが、後述のように、長く独自のマケドニア国家を持たなかったことから、固有の「マケドニア民族」という意識の形成も遅れた)。
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