スラム街へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/22 21:24 UTC 版)
スラム街の場所は、宗教大学近くの西巣鴨にある通称「二百軒長屋」というところである。この長屋の様子は、地理学者・小田内通敏の書いた『帝都と近郊』(大倉研究所、大正7年刊)に詳しく紹介されている。これによれば、建物は貧弱なうえに、柱を補修してようやく建っているありさま。屋根を瓦にしたくても、このような状態の柱だからとても支えきれず元のままに状態においてあるという。長屋内は1つの町のようで、煙草屋・酒屋・理髪店・駄菓子屋・八百屋となんでもあり、貸布団屋から歯入屋まで揃っている。屑拾いを商売とする人が多く、長屋内は不潔なので一般の人はけっして中に入ろうとしなかったという。 そこで「屑拾い」の手伝いをしている子どもたちのため、読み書き・そろばんなどを教える夜間学校を開校。そこに通う子どもたちの両親から「先生はなんでも知っている」ということで、身の上相談をするようになった。それが広がり、良信は夫婦ゲンカの仲裁や簡単な病気の治療法、そして仕事の世話もするようになっていく。ついには、人事や法律などの相談所を開設することになるが、良信はこれらの活動を組織的・系統的に実行することを願い、そのための組織“マハナヤ学園”の創設を意図するようになっていった。
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