スパルタ介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
この直後、スパルタの将軍ギュリッポスがシュラクサイの救援要請に応えてヒメラ(現在のテルミニ・イメレーゼの東12キロメートル)に上陸した。ギュリッポスは海兵隊700、重装歩兵1,000、騎兵100およびシケリア兵1,000を率いてシュラクサイに向かった。スパルタ軍はエピポライ台地に対塁壁を建設しようとしたが、初回はアテナイ軍に撃退された。しかしながら2回目の戦闘では、騎兵と投槍兵を上手く用いてアテナイ軍を撃退した。シュラクサイ軍が対塁壁を完成させると、アテナイ軍の攻城堡塁は役に立たなくなった。エラシニデスが率いるコリントスの艦隊も到着した。 ニキアスは疲弊し、また病を得ており、今やシュラクサイを占領するのは不可能と信じるようになっていた。伝令を用いての口頭での連絡だけでは不確実と見て、アテナイに対して撤退かあるいは大規模な援軍を送ることを求めた書簡を送った。ニキアスは全軍の撤退はないにしても自身の解任を予測していたが、それに反してアテナイはデモステネスとエウリュメドンが率いる増援軍を送ることとした。エウリュメドンは船10隻と共に直ちに出発し、デモステネスはやや遅れて主力軍を率いて出発した。他方、紀元前413年初頭にスパルタはアルキビアデスの助言を容れてデケレアの要塞化を開始し、その阻止に向かったアテナイ軍を殲滅した。 エウリュメドンがまだ到着する前に、ギュリッポスの80隻(内、三段櫂船35隻)のシュラクサイ艦隊は湾内の60隻(内三段櫂船25隻)のアテナイ艦隊を攻撃した。また、陸軍も同時に攻撃をかけた。海上の戦いはアテナイが勝利したが(アテナイの損失3隻に対してシュラクサイの損失11隻)、シュラクサイ・スパルタ陸軍はアテナイ陸軍に勝利し、二つの砦を占領した。この結果、ギュリッポスは中立を保っていたシケリア都市に対して、シュラクサイ側につくことを確信させることに成功した。
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