スパルタ亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:59 UTC 版)
アルキビアデスは傲慢な性格であったが故に、政敵が多かった。到着後すぐに前に起こったヘルメース像破壊事件の容疑者にされてしまい、政敵たちによってアテナイへの帰国命令が出たため、彼はスパルタに亡命した。アルキビアデスはアテナイの内部情報を流し、シチリア島防衛をスパルタ側に主張した。その結果、スパルタはシチリア島にギュリッポス率いる軍隊を派遣し、徹底抗戦をすることにした。 スパルタ軍によってシチリア軍は鍛え上げられ、アテナイは膨大な戦力を投入したにもかかわらず、アテナイのシチリア遠征は惨憺たる結果に終わった(紀元前413年)。遠征軍は降伏し、司令官のニキアスとデモステネスは降伏したものの、シュラクサイによって処刑された。さらにこの事件はシュラクサイのペロポネソス戦争参戦と言う結果をも招いた。
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