ストーナーロックの確立〜活動停止(1990年 - 2000年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 23:01 UTC 版)
「トラブル (バンド)」の記事における「ストーナーロックの確立〜活動停止(1990年 - 2000年)」の解説
これまでの実績評価から、著名な音楽プロデューサー リック・ルービンに見出される。 1990年、同氏主宰のレーベル「デフ・アメリカン」から、ストーナーメタルの雛形と言える4thアルバム『Trouble』(別名: Trouble 4)を発表。ライブツアーも精力的に行い、存在がワールドワイドに知れ渡る。 1992年、続く5thアルバム『Manic Frustration』で音楽性が一つのピークを迎えるが、前作から更にメタル色が後退したスタイルに賛否両論が起こる。当時はストーナーロック・シーン自体が未成熟であり、商業的成功に結び付かなかった。結果「デフ・アメリカン」から契約を解消され、配給の窓口を失う。 1994年に、EP「One for the Road」を自主制作発表した後の翌年、心機一転の6thアルバム『PLASTIC GREEN HEAD』をリリースするが、状況は改善する事なく不発に終わってしまう。1997年にエリック・ワグナー(Vo)が脱退。後任にカイル・トーマス(Vo)を迎えるも、程なくバンドは活動を停止する(※解散ではない)。
※この「ストーナーロックの確立〜活動停止(1990年 - 2000年)」の解説は、「トラブル (バンド)」の解説の一部です。
「ストーナーロックの確立〜活動停止(1990年 - 2000年)」を含む「トラブル (バンド)」の記事については、「トラブル (バンド)」の概要を参照ください。
- ストーナーロックの確立〜活動停止のページへのリンク