スコットランドの援軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 21:36 UTC 版)
「ヴェルヌイユの戦い」の記事における「スコットランドの援軍」の解説
1419年、スコットランドから援軍6,000がバカン伯ジョン・ステュアート(英語版)に率いられてフランスに上陸し、すぐに王太子のフランス軍の中核となった。1421年のボージェの戦いでスコットランド兵はめざましい活躍を見せ、イングランド軍は百年戦争で初めて大きな敗北を喫したが、クラヴァンの戦い(1423年)でフランス・スコットランド軍が大敗してバカン伯の兵の多くが討ち取られると、楽観ムードは吹き飛んだ。 1424年、バカン伯は有力貴族ダグラス伯アーチボルド・ダグラス(英語版)と共に、2,500の装甲兵士(英語版)と4,000の弓兵を率いてフランスに再上陸し、王太子シャルルの根拠地のブールジュに入城した。8月にスコットランド軍はアランソン公ジャン2世、ナルボンヌ子爵ギヨーム2世(フランス語版)らが率いるフランス軍と、英軍に包囲されているル・マン近くのイヴリー城の救援に向かったが、到着前に城は陥落した。両軍は軍議を開き、主戦派のスコットランド軍と慎重派のフランス軍で意見が分かれた結果、妥協案として近くのヴェルヌイユ攻撃を決めた。スコットランド兵がイングランド兵の振りをして城門を開けさせるという奇策で町を占領すると、イングランド軍を指揮するベッドフォード公はヴェルヌイユ奪還に向かった。
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