スクリュープロペラの登場
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18世紀末頃から19世紀初めにかけて、多数のスクリュープロペラが考案されたが実用には用いられなかった。 イギリスのフランシス・ペティ・スミスが1836年5月31日にスクリュープロペラの特許を取り、「フランシス・P・スミス」号(6トン)を造り2ピッチの長いスクリュープロペラでの実験を始めた。偶然水中でプロペラが破損した後で船速が上がり、この後、1ピッチのものに変更して5.5ノットまで速度を上げられた。出資者が得られたため、シップ・プロペラ社を設立して本格的なスクリュー船の建造を始めた。スミスはその後、ラトラー号のスクリュープロペラを設計する。 同時期に、スウェーデン人ジョン・エリクソンはスミスの6週間後に特許を取り、翌1837年に船長14mの「フランシス・B・オグデン」号を造ってロンドンのテムズ川で100トンの石炭はしけ4隻を5ノットで曳いて見せた。英海軍高官は水面下で推進軸のための穴を嫌い、直進性が欠けているはず、風に対して不安定という評価によって軍艦へは不採用となった。 翌年の1838年には36トンの「ロバート・F・ストックトン」号を造ったが、イギリスでは進展が得られなかったため、1839年に帆走によって米国へ渡った。ストックトン号はプロペラを2つから1つに改造を受けた後、デラウェア川の曳き船となった。エリクソン自身はその後、米海軍の造船に協力した。 その後、徐々にスクリュープロペラを備えた船が造られるが、まだ帆船が主体であり、蒸気船でも外車によって推進されるものが主体であった。1850年の船舶総トン数では帆船9に対して蒸気船1の比率であった。
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