スキャンプの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 20:29 UTC 版)
「スキャンプ (潜水艦)」の記事における「スキャンプの最期」の解説
スキャンプが司令部に返信を送った2日後の11月11日、父島を出航し館山に向かっていた第4108船団を護衛中の第四号海防艦は、上空警戒機からの報告で潜水艦に対する警戒を強めていたところ、八丈島北方沖で自艦の右前30度の方向に潜水艦を探知した。この潜水艦がスキャンプであった。第四号海防艦は輸送船を退避させたのちスキャンプに向首していった。目標まで1,000メートルになったとき、突然スキャンプから2本の魚雷が発射された。第四号海防艦は魚雷を回避し、爆雷攻撃を実施。爆雷投下点に目印の発煙筒と旗を投下し、3度にわたって合計70発の爆雷を投下。攻撃後、10数メートルはあろう大きな気泡が何個もわき出し、また重油も大量に湧出してきた。探信の結果、なんら反応がなかった。これがスキャンプの最期であった。第四号海防艦は館山入港後の11月15日に、海上護衛総司令部司令長官野村直邦中将から「敵潜水艦4隻撃沈」の戦功により、海防艦単艦として初めての感状を授与された。 殊勲の第四号海防艦は1945年7月28日、鳥羽で第38任務部隊機の攻撃を受けて沈没した。
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