スイス・ドイツ語圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 15:56 UTC 版)
「一般言語学講義」の記事における「スイス・ドイツ語圏」の解説
スイスにおけるソシュールの影響は直接的ではあったが、ジュネーブ大学を中心とした「ジュネーブ学派」に限定されていた。スイスのドイツ語圏のほとんどは批判的であり、例えばヴァルトブルクは、通時的な研究と共時的な研究は両立し得ないというソシュールの主張を幻想だとし、これら2つを統一して扱う必要があると主張している。 『講義』の編集を行ったバイイとセシュエを始めとし、ソシュールの教えを受けた研究者たちは、単なる教え子にはとどまらず、『講義』の内容形成そのものに関わっていることが指摘できる。例えば丸山圭三郎は、ソシュールのパロールの概念にバイイの文体論が影響していることは間違いないとしているし、セシュエの理論がソシュールに影響を与えたことをウンデルリが指摘している。 1931年にロンメルが『講義』をドイツ語訳すると、ドイツからも反応があったが、多くは厳しい批判であった。ドイツのみならず世界から届く批判に対して、『講義』を文献学的に批判することでこれに答えようとする動きが第二次世界大戦あたりからジュネーブ学派から見られるようになる。その中では特にゴデルの「F. ド・ソシュール一般言語学講義原資料」(1957)は現在のソシュール研究の出発点となった点で大きな価値がある。エンゲラーの「校訂版」(1967-1974)も注目される。
※この「スイス・ドイツ語圏」の解説は、「一般言語学講義」の解説の一部です。
「スイス・ドイツ語圏」を含む「一般言語学講義」の記事については、「一般言語学講義」の概要を参照ください。
- スイス・ドイツ語圏のページへのリンク