スイス・ユニオン銀行とスイス銀行の合併(1998)
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「UBS」の記事における「スイス・ユニオン銀行とスイス銀行の合併(1998)」の解説
1990年代半ばのスイス・ユニオン銀行は、保守的な経営体制と低い配当について株主からの強い批判を受けていた。このため当時最大の株主であったマルティン・エブナ—(ドイツ語版)は銀行経営の大幅な構造改革を求め、合併を支持。会長であったロベルト・ストゥーダーが退任することになり、スイス銀行コーポレイションとの合併の考案者の一人であったスイス・ユニオン銀行会長のマティス・カビアラベッタ(英語版)が会長に就任した。1997年12月8日、スイス・ユニオン銀行とスイス銀行コーポレイションの株式併合が発表された。当時、スイス・ユニオン銀行はスイスで第二、スイス銀行コーポレイションは第三の規模の銀行であり、合併によって5,900億ドル以上の総合資産を持つ巨大銀行が誕生した。これは当時、東京三菱銀行に次ぐ世界第二の規模であった。 またこの年には、ロングタームキャピタルマネジメントの崩壊の影響を受けて1億フランの損害を出し、UBSの代表の辞任のきっかけとなった。
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