ジョン・ブローニングの登場
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「ジョン・ブローニング」の記事における「ジョン・ブローニングの登場」の解説
ジョン・ブローニングは1855年にアメリカユタ州のオグデンで生まれる。父親は同じく銃技師であるジョナサン・ブローニング。モルモン教徒であったジョナサンには妻が二人存在し、そのためかジョンの周りの兄弟は異母兄弟5人を含め非常に多かった。ジョナサンは商売も繁盛していたほか、一時は地方判事にも選ばれるほどの人物だった。直系では彼の他に弟が5人存在したが、その中で長男のジョンは一番器用であったとされ、18歳の時には銃の修理など父ジョナサンの銃砲店を手伝うようになり、その他にも手作りでつくった革靴がオグデンで評判になるなどした。その後、父親の銃砲店を引き継いだジョンは、24歳のときにはみずからレバーアクション式単発ライフルを開発し、1879年10月7日付けで特許を取得している。 1879年にジョンは生涯の妻となるレイチェルと結婚。しかしこの年に父親のジョナサンがこの世を去ってしまう。社長で一家の大黒柱でもあった父を失ったことで、兄弟達はその後の経営方針を話し合った結果、弟マシューの提案により生計は銃の修理に限定、それに平行してジョンの開発したレバーアクションライフルを販売しようという内容で合意した。3年後、兄弟達はジョン自ら開発したレバーアクション式ライフルの販売をオグデンを中心に開始、このライフル銃は当時それなりに高評価を得ることとなった。 この銃に注目したのが、当時銃器販売で有名であったウィンチェスター社のセールスマン、アンドリュー・アクアウスランドであった。このユニークなライフル銃に注目したアンドリューは社長であったトーマス・G・ベネットに対しこのライフル銃を郵送した。ベネット自身もこの銃に大変感心し、当時ウィンチェスター社があったコネティカット州ハートフォードから大陸横断鉄道に乗り自らジョン・ブローニングに会いに行った。その後ベネットはジョンとの交渉の結果、この単発ライフルの在庫品と特許を8000ドルでの買取に成功し、その後ウィンチェスター社ではレバーアクションライフルの製造を開始した。これが1885年に登場するウィンチェスターM1885である。
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