ジョゼ・アグアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 14:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2018年4月)
|
| この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・カルヴァーリョ、第二姓(父方の姓)はサントス・アグアスです。 |
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| |
||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | ジョゼ・ピント・デ・カルヴァーリョ・サントス・アグアス José Pinto de Carvalho Santos Águas |
|||||
| ラテン文字 | José Águas | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
|||||
| 生年月日 | 1930年11月9日 | |||||
| 出身地 | ポルトガル領西アフリカ (現: ルアンダ州ルアンダ |
|||||
| 没年月日 | 2000年12月10日(70歳没) | |||||
| 身長 | 181cm | |||||
| 体重 | 77kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1948–1950 | |
|||||
| 1950–1963 | |
384 | (379) | |||
| 1963–1964 | |
7 | (2) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 1952–1962 | |
25 | (11) | |||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年3月18日現在。 2. 2010年3月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
ジョゼ・ピント・デ・カルヴァーリョ・サントス・アグアス(José Pinto de Carvalho Santos Águas、1930年11月9日 - 2000年12月10日)は、アンゴラ・ルアンダ出身の元ポルトガル代表のサッカー選手。ポジションはFW。
経歴
ポルトガルの植民地時代のアンゴラで生まれ、アンゴラのルシタノ・ロビトでキャリアをスタートさせた。そこで活躍しているところを、ポルトガルのクラブチームに発掘された。
1950年代から60年代にかけて、SLベンフィカでキャプテンとして数々のタイトル獲得に貢献し、自身も得点王を5度獲得する活躍をした。特に 1961年にはベーラ・グットマンのもとでエウゼビオやマリオ・コルナらと共にFCバルセロナを相手に先制ゴールを決め、ベンフィカで初めてのUEFAチャンピオンズカップを制覇し、ポルトガル人として最初にカップを両手で掲げて見せた。また翌年にはレアル・マドリードを下し連覇を達成した。
ポルトガル代表としては、1952年11月23日にオーストリア代表戦でデビューを果たした。その後エースストライカーとして活躍し、1962年5月17日のベルギー代表戦が最後の代表戦となった。
1963–1964シーズンにオーストリアのFKアウストリア・ウィーンに移籍し、そのシーズンの後に33歳で現役を引退した。2000年12月10日にポルトガルの首都で70歳で死去した。
人物
息子には80年代から90年代にかけてのベンフィカやFCポルト、ポルトガル代表でプレーしたストライカーのルイ・アグアスがいる。またルイ・アグアスの姉のレーナ・ダグアはポルトガル最初の女性ロック歌手で、「日本帝国」というヒット曲がある。
タイトル
- クラブ
- SLベンフィカ
- スーペル・リーガ 1954–55, 1956–57, 1959–60, 1960–61, 1962–63
- タッサ・デ・ポルトガル 1950–51, 1951–52, 1952–53, 1954–55, 1956–57, 1958–59, 1961–62
- UEFAチャンピオンズカップ 1960-61, 1961-62
- 個人
- スーペル・リーガ得点王 1951-52, 1955-56, 1956-57, 1958-59, 1960-61
外部リンク
- ジョゼアグアスのページへのリンク