ジョセフ・マクミーキン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:19 UTC 版)
「アヤラ・コーポレーション」の記事における「ジョセフ・マクミーキン時代」の解説
第二次世界大戦後の1948年にはマニラ首都圏の金融街としてのマカティの開発を開始した。1950年代初頭までのマカティは雑草が生い茂る荒地だったが、エンリケ・ソベルの長女メルセデス・ソベルと結婚した第7代アヤラ家当主ジョセフ・マクミーキン(1908-1990)は、モダンな商業地や住宅地に作り替えた。ジョセフ・マクミーキンはマカティを用途別の小地区に分割し、まず1949年から超高級住宅地区を、次いで1952年から1962年までその周辺の住宅街を、さらにアヤラ大通りやオフィスビルを、1960年からショッピングモールを建設した。マカティは今日のフィリピンにおける商業の中心地となり、マカティ中心業務地区にあるアヤラ・センター(英語版)には、先進国のような高層ビル、デパート、ホテルなどが立ち並んでいる。マカティで成功をおさめると、1978年からはマカティの南15kmにあるモンテンルパのアラバン地区開発事業にも進出した。1988年にはセブ島で大型都市開発を、その後日本の三菱商事と提携してマニラ郊外で工業団地の造成を行った。アヤラ財閥の主軸はこのような不動産開発である。
※この「ジョセフ・マクミーキン時代」の解説は、「アヤラ・コーポレーション」の解説の一部です。
「ジョセフ・マクミーキン時代」を含む「アヤラ・コーポレーション」の記事については、「アヤラ・コーポレーション」の概要を参照ください。
- ジョセフ・マクミーキン時代のページへのリンク