ジャマーアテ・イスラーミーの創設
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「ジャマーアテ・イスラーミー」の記事における「ジャマーアテ・イスラーミーの創設」の解説
ナショナリズムはどのような形であれイスラーム的ではなく、人々の日常的な利益に関係していると考えていたマウドゥーディーは、1941年8月26日にラーホールのイスラーミーヤ・パークで75人の参加者とともにジャマーアテ・イスラーミーを発足させた。マウドゥーディーは自らの党を、世界で最初のイスラーム国家創設のためにマディーナに集まった初期ムスリムの足跡に倣ったイスラーム革命の尖兵と見なしていた。ジャマーアテ・イスラーミーのメンバーは加入時に信仰の告白であるシャハーダを唱え、ムスリムとしての結束を強めた。 組織構造はピラミッド型で厳密かつ階層的に組織されている。全ての支持者はアミールの指導の下、特に教育や社会活動を通じて、イデオロギー的なイスラーム社会を確立するという共通の目標に向かって動いている。前衛的な政党であったため、支持者全員が党員になれるわけではなく、エリートだけが党員になることができる。党首はアミールと呼ばれ、党員の下は「会員」、さらにその下は「支持者」と呼ばれている 。これはマウドゥーディーが、社会は上から下に影響されると考えていたため、イスラーム社会のエリートにイスラームの原理を教育し、まず始めに「彼らの誤った考え方」を正そうと考えていた。そしてパキスタン・インド分離独立が果たされる1947年までの数年間、彼らはインド国民会議とムスリム連盟間の激しい政治対立から距離を置き、党員訓練と組織構造の洗練及び強化に集中していた。
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