ジャパンライン株買占め事件に関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:50 UTC 版)
「水島廣雄」の記事における「ジャパンライン株買占め事件に関与」の解説
1972年、河本敏夫率いる三光汽船が地場証券を通じてジャパンラインの株を買い占めている動きが見られた。ジャパンラインもメインバンクの興銀などを通じて防衛策を講じたが、当初50円ほどの株価が900円台にまで跳ね上がる事態となった。その間にジャパンラインは児玉誉士夫を調停役として仕向けたが解決の糸口が見つけられなくなった。一方の三光汽船も強引な買い占めに対する批判や政府からの圧力で動くに動けない状況であった。 結局、三光汽船が買い占めたジャパンラインの株は「1株380円」(水島の証言)で売却する運びとなったが、三光汽船とジャパンラインの双方に人脈を持つ水島が調停に乗り出し解決に結びつけた。水島は児玉誉士夫に調停を依頼し、その謝礼として児玉に1億円相当のダイヤモンドを贈った。 河本敏夫とは三光汽船常務の岡庭博の仲介で知り合った。岡庭と水島は興銀から実業界に転じたため親しい関係であった。一方の児玉との繋がりは、児玉と並んで戦後最大のフィクサーと呼ばれた大谷貴義(福田赳夫や松下幸之助との繋がりで有名)との関連もあった。大谷は福田を総理大臣にするため財界の大物を招いて茶会を開いていたが、水島は興銀との関係が深かった福田との繋がりで茶会に招かれたこともあった。一方で大谷は韓国系の暴力団との往来もあり、そこで知り合った児玉との結びつきができた。
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