ジェッリの入会と反共化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:45 UTC 版)
「ロッジP2」の記事における「ジェッリの入会と反共化」の解説
しかし1966年に、元ファシスト党員で、極右政党であるイタリア社会運動(MSI)の幹部で、第二次世界大戦におけるドイツの戦犯容疑者のブラジルやアルゼンチンなどの南アメリカ諸国への海外逃亡を幇助した「オデッサ」と手を組み助けた人物としても知られたリーチオ・ジェッリが入会してからは、ジェッリ自らが活動を活発化させ主導権を握り、1971年には代表(グランド・マスター=親方)に就任した。 この前後に、東西冷戦下のイタリアにおいてソビエト連邦と一定の距離を置く「ユーロコミュニズム」路線を敷いた、エンリコ・ベルリンゲル書記長率いるイタリア共産党が中道層の間にも支持を増し国政における議席を増やしたほか、首都のローマや、ボローニャやフィレンツェなどの大都市の首長に共産党員が選出されるなど活動が活発化した。 またボリビアやニカラグアなどの南アメリカ諸国において、キューバのチェ・ゲバラなどの共産主義者が率いるゲリラ活動家らが反軍事独裁運動に浸透を図る中で、ジェッリ代表の主導の元、これらの左傾化に危機感を持つイタリアの右派政治家やイタリア軍人を中心に、アルゼンチンのファン・ペロン政権や、当時軍政下にあったブラジルやウルグアイ、チリなどの南アメリカ諸国の反共的な軍事政権の政治家や軍人もメンバーに持ち、さながら冷戦下における反共主義者の集まりとして活動していた。
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