ジェイウィック作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 00:53 UTC 版)
「昭南港爆破事件」の記事における「ジェイウィック作戦」の解説
爆破は英国陸軍のイバン・ライアン少佐らイギリス軍・オーストラリア軍混成の特殊部隊による作戦行動(ジェイウィック作戦)によるものだった。 ライアン少佐は、太平洋戦争の開戦当時、イギリスの特殊作戦執行部に所属し、シンガポールからの一般住民の脱出を支援していたが、シンガポールが陥落する直前にシンガポールを脱出してコロンボへ逃れ、その後オーストラリアへ渡って、エクスマウス湾(英語版)を基地としてオーストラリア軍の将兵から志願者を募り、将校4人、兵士10人から成る決死隊を組織した。 1943年9月2日、決死隊の14名は、日本漁船「幸福丸(英語版)」を偽装した「クレイト号」でエクスマウス湾を出発し、9月18日にリアウ諸島中の無人島パンジャン(Panjang)島に到着した。そこで6名の隊員を3隻のカヌーに分乗させ、カヌーは9月20日にパンジャン島を出発し、9月26日夜、スバール(Subar)島からケッペル港に侵入し、目標とした船にリムペット(吸着爆弾)を装置して退却、10月2-3日にポンポン(Pompong)島で「クレイト号」に収容され、エクスマウス湾の基地に帰投していた。
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