シャロン・テートとの結婚と悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:17 UTC 版)
「ロマン・ポランスキー」の記事における「シャロン・テートとの結婚と悲劇」の解説
イギリスにて製作していた『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートと1968年に結婚する(2度目の結婚)。しかし翌1969年8月9日、テートは友人らとロサンゼルスの自宅でパーティーの最中、チャールズ・マンソン率いるカルト教団に襲われ惨殺された。当時、テートはポランスキーの子を身ごもっており、妊娠8ヶ月だった。 ポランスキーはロンドンで映画の脚本執筆中に悲報を受け、アメリカに帰国した。ロバート・エヴァンズの自伝『くたばれ!ハリウッド(原題The Kid Stays in the Picture)』によると、ポランスキーは憔悴しきっており、医師による鎮静剤の投与が必要だったという。この事件でポランスキーは、当初マスコミの餌食となり、根拠のない中傷を受けた。 しかも、この悲劇は人違い殺人であった。事件が起きた邸宅は、ポランスキー夫妻が借りる前は、ドリス・デイの息子でミュージシャンのテリー・メルチャー(英語版)が居住していた。ミュージシャン志望だったマンソンがメルチャーを訪ねたが、プロへの道に繋がらず、その逆恨みが襲撃の動機であった。 事件当夜、スティーブ・マックイーン、パラマウントの重役だったロバート・エヴァンズ、ポランスキーの格闘技の師匠であったブルース・リーなどもパーティーに招かれていたが、行かなかったことで惨劇を免れた。
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