シビウ市長(2000年)
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「クラウス・ヨハニス」の記事における「シビウ市長(2000年)」の解説
2000年にDFDRは、シビウ市長選挙に独自候補の擁立を決め、クラウス・ヨハニスを指名した。シビウのドイツ系人口は2%未満と少数派であるが、ヨハニスは69%を得票し当選し、ルーマニアの大都市で初のドイツ系市長となった。第1期の議会運営は社会民主党(PSD)と協力し、多数派を形成した。 2004年にヨハニスは88.7%を得票し、再選された。ヨハニスは国外のドイツ語圏の投資家やEU当局と良好な関係を築き、シビウを2007年の欧州文化首都(ルクセンブルクと共同)にすることに成功した。在任中実施した大規模なプロジェクトには、旧市街修復、全都市インフラ更新(道路、水、電気、下水)、西欧の水準でのシビウ空港(ドイツ語版)拡張が挙げられる(2007年完成)。2008年と2012年に、ヨハニスはシビウ市長に再選された。得票率は2008年には80%、2012年には約78%であった。
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