シディ・バラーニでの停止とは? わかりやすく解説

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シディ・バラーニでの停止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:02 UTC 版)

コンパス作戦」の記事における「シディ・バラーニでの停止」の解説

リビア総軍指揮官であるグラツィアーニ元帥マリオ・ベルティ将軍指揮第10軍の内、兵員8からなる伊第XXlll軍団進軍させる。対す英軍前線配置部隊が3程度で、パレスチナなど後方配置した部隊含めても6程度と数では劣っていたが、装備補給の面では遥かに伊軍より恵まれた環境にあった英軍リチャード・オコーナー将軍伊軍補給線引き伸ばし、更に困窮させる狙いで軍を後退させた為、開戦当初順調に進軍続けた。しかし装備補給面の不足を理解していたグラツィアーニ元帥は、シディ・バラーニで軍の先頭部隊を停止させ、同地防御命じたムッソリーニはこれに激怒したが、バドリオ元帥賛同もあり同命令受け入れられ以降3ヶ月間に渡って伊軍同地留まる事になる。 グラツィアーニこの間に少しでも補給事情改善する為のインフラ整備陣地の構築命じつつ、遠征軍抱えていた最も致命的な問題である機動戦力の不足を解決するべくムッソリーニ精鋭部隊増援要請していた。ムッソリーニ当初はこの要請前向きな姿勢示し、特に戦車戦に関して1000輌の増援約束していた。だがこれらの増援無計画な戦局拡大続けムッソリーニギリシャ侵攻により反故にされ、徒に時間経過するだけに終わった一方英軍オコーナー要請受けて各地から増援派遣兵員は3万人から6万人にまで増強され、機甲戦力は50輌のマチルダII歩兵戦車を含む275輌に増派された。更にそれまで北アフリカ制空権イタリア空軍制していたが、これも航空隊増援により奪還成功するこうした状況下で英軍はシディ・バラニの奪還計画コンパス作戦発動され運びとなる。

※この「シディ・バラーニでの停止」の解説は、「コンパス作戦」の解説の一部です。
「シディ・バラーニでの停止」を含む「コンパス作戦」の記事については、「コンパス作戦」の概要を参照ください。

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