シディ・バラーニでの停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:02 UTC 版)
「コンパス作戦」の記事における「シディ・バラーニでの停止」の解説
リビア総軍の指揮官であるグラツィアーニ元帥はマリオ・ベルティ将軍指揮の第10軍の内、兵員8万名からなる伊第XXlll軍団を進軍させる。対する英軍は前線配置の部隊が3万名程度で、パレスチナなど後方に配置した部隊を含めても6万名程度と数では劣っていたが、装備や補給の面では遥かに伊軍より恵まれた環境にあった。英軍のリチャード・オコーナー将軍は伊軍の補給線を引き伸ばし、更に困窮させる狙いで軍を後退させた為、開戦当初は順調に進軍を続けた。しかし装備と補給面の不足を理解していたグラツィアーニ元帥は、シディ・バラーニで軍の先頭部隊を停止させ、同地の防御を命じた。ムッソリーニはこれに激怒したが、バドリオ元帥の賛同もあり同命令は受け入れられ、以降3ヶ月間に渡って伊軍は同地に留まる事になる。 グラツィアーニはこの間に少しでも補給事情を改善する為のインフラ整備や陣地の構築を命じつつ、遠征軍が抱えていた最も致命的な問題である機動戦力の不足を解決するべくムッソリーニに精鋭部隊の増援を要請していた。ムッソリーニも当初はこの要請に前向きな姿勢を示し、特に戦車戦力に関しては1000輌の増援を約束していた。だがこれらの増援は無計画な戦局拡大を続けるムッソリーニのギリシャ侵攻により反故にされ、徒に時間が経過するだけに終わった。 一方の英軍はオコーナーの要請を受けて各地から増援を派遣、兵員は3万人から6万人にまで増強され、機甲戦力は50輌のマチルダII歩兵戦車を含む275輌に増派された。更にそれまで北アフリカの制空権はイタリア空軍が制していたが、これも航空隊の増援により奪還に成功する。 こうした状況下で英軍はシディ・バラニの奪還を計画、コンパス作戦が発動される運びとなる。
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