ザンボアンガ方面
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「第32特別根拠地隊」の記事における「ザンボアンガ方面」の解説
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月10日、アメリカ軍がミンダナオ島最西端のザンボアンガへ上陸を開始し、陸軍の独立混成第54旅団(旅団長:北条藤吉陸軍少将)および33警が迎え撃った(32特根ザンボアンガ派遣隊長の佐々木丙二海軍少佐は33警司令承命服務により33警副長)。 在ザンボアンガ海軍は善戦しアメリカ軍の進攻を食い止め、豊田副武連合艦隊司令長官はその敢闘に対して特に賞詞を贈って偉勲を讃えた。しかしながら、3月末には弾薬が尽きて北方の地図のない原始林へ転進し、4月26日以降はダバオ司令部との通信連絡が途絶した。 その後、弾薬も食糧もない中で士気旺盛に持久戦を展開したが、池田司令・佐々木副長ともにマラリアにより戦病死し、アメリカ軍進攻時4,000名以上いた兵力が生存者わずか約400名という苛烈を極めた戦闘であった。
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