サン=ドマング - 1794年の奴隷制廃止
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「ヴィクトル・シュルシェール」の記事における「サン=ドマング - 1794年の奴隷制廃止」の解説
シュルシェールが生まれた1804年は、フランスの植民地サン=ドマングで黒人の指導者ジャン=ジャック・デサリーヌが独立を宣言し、国号をハイチに改め(ハイチ帝国)、ハイチ皇帝に即位した年である。サン=ドマングでは1789年にフランス革命が勃発したときに有色自由人らによる内戦が始まり、革命政府によって使節として送り込まれたレジェ=フェリシテ・ソントナ(フランス語版)により1793年に奴隷解放が宣言された。1794年2月4日には国民公会がこれを認め、全フランス植民地で奴隷制が廃止された(ただし、マルティニークは同年から1802年のアミアンの和約までイギリス軍の占領が続いたため、廃止が適用されなかった)。だが、この8年後の1802年5月20日にはフランスを掌握したナポレオン・ボナパルトが制定した政令により再び奴隷制が復活し、サン=ドマングとグアドループに遠征軍が送られた。グアドループではアントワーヌ・リシュパンス(フランス語版)の軍隊により黒人の反乱が鎮圧され、サン=ドマングでは黒人の指導者トゥーサン・ルーヴェルチュールが逮捕されフランスで処刑された(シュルシェールは後の1889年に『トゥーサン・ルーヴェルチュールの生涯』を著している)。しかし、翌1803年11月の戦いではフランス軍が大敗を喫し、ハイチ帝国が成立した。
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