サルマとラビアの奪還
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「2015-2016年ラタキア攻勢」の記事における「サルマとラビアの奪還」の解説
1月12日の朝、政府軍が反政府勢力の拠点でラタキア北部の田園地帯にあるクルド山地(abal al-Akrad)においての反政府勢力の最重要地点サルマの東側に位置する戦略上重要な村Tartiyahを完全に支配下に置いた。その日の後半に、政府軍はサルマを完全に掌握した。 翌日、軍はサルマの支配を拡大し、MrouniyahとMarj Khawkhaを占領した。1月15日までに、反政府勢力の防御が崩壊したため、政府軍はさらに6つの村を支配下に置いた。 2016年1月16日、政府軍はアル=サラフを見下ろすいくつかの丘と、さらに6つの村を占領した 。 翌日、政府軍は戦略上重要な町ラビアの近くの2つの山頂と、ジャバル・アル=アクラードとトルクメン山全体の6つの村を占領した。 1月20日、政府の進軍は続き、さらに2つの村を奪還した。しかし、1月18日から20日の間に反乱軍が反撃し、4つの村と丘が奪還された。それでも、政府軍が依然として戦略上重要な高地を占領していたため、これらの奪還した陣地に対する反政府勢力の保持力は弱かった。 1月21日、新たな陸軍の攻撃が始まり、1月24日までに20の村を占領し、戦略上重要な町ラビアを三方で取り囲んだ。ラビア自体もその日に制圧された。 1月12日から25日までの間に、ロシアとシリアの軍用機は522回以上の空爆を行い、政府の地上部隊は3,000発以上のロケット弾とミサイルを発射し、36の町や村を制圧した。その中でも重要だったのはジャバル・アル・アクラドとジャバル・アル・トルクメンの反政府勢力の主要拠点サルマとラビアである。この2週間の作戦中に、72人のシリア兵と124人の外国人反政府勢力が殺害された。
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