サルマタイのスキティア侵略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:39 UTC 版)
「サルマタイ」の記事における「サルマタイのスキティア侵略」の解説
サルマタイのスキティア侵略については様々な史料に断片的に記録されているが、ヘロドトス等に記されているスキタイほど詳細な史料が存在しない。しかしながら、紀元前4世紀末にはサルマタイ諸部族がサウロマタイに代わってドン川に迫り、そのうちのシラケス族はボスポロス王国の権力闘争に深く関与してクバン川流域を支配下に置いたという。時にスキタイ(第二スキタイ国家)は紀元前339年のアテアス(アタイアス)王の死後から弱体化し、紀元前3世紀にはドン川を越えて侵攻してきたサルマタイによって征服されてしまう。以降、この地域はスキタイのスキティアからサルマタイのサルマティアと呼ばれるようになった。サルマタイは黒海北岸を征服すると、そこにあったギリシア植民市にも侵略し、自由民たちを捕虜にして売りさばいた。サルマタイから圧迫されたスキタイはクリミア半島に押し込まれ、第三スキタイ国家を形成した。その地域は小スキティアと呼ばれた。
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