サルマティア主義とヴァンダル主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 16:07 UTC 版)
「サルマティズム」の記事における「サルマティア主義とヴァンダル主義」の解説
政治思想においては、サルマティア主義はポーランド・リトアニア共和国の多民族主義すなわちヤギェウォ朝の思想と呼応した。いっぽう、この時代のポーランド王国の社会にはサルマチア主義のほかにヴァンダル主義がある。ヴァンダル主義は中世前期の7世紀まで部族として認識されていたヴァンダル人が、このころから同じ土地に住んでいることが知られていた初期ポーランド人であるレフ族と同一の人々で、単に時代によって呼び名が変遷しただけであるという考えに基づいたもので、7世紀以降も13世紀ごろまでポーランド人がしばしば「ヴァンダル人」として広く紹介されていたことにちなむ。すなわちヴァンダル主義はポーランドの土着主義で、現在で言うところの国粋主義に相当し、ポーランド王国のピャスト朝の思想と呼応した。「クリムゾン・シュラフタ」(緋色のシュラフタたち)と呼ばれる、古く初期ポーランド王国時代から連綿と続くシュラフタの人々の家系は財産の多寡に関係なく社会的地位が高かったが、これはヴァンダル主義の文脈でも語られる。
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