サイフウとは? わかりやすく解説

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蔡諷Cai Feng

サイフウ

(?~?)

襄陽の人。蔡瑁の父《襄陽記》。遼東太守蔡風とは別人

蔡氏が繁栄極めたのは後漢末期で、蔡諷は姉を太尉張温に、長女黄承彦に、末女劉表に嫁がせた《襄陽記》。永嘉年間三〇七~三一三)末期まで子孫富み栄え一族は非常に強い勢力持っていたが、草賊王如襲撃によって蔡氏一党全て死んでしまい、今では蔡を姓とする者は一人残っていない《襄陽記》。

参照王如 / 黄承彦 / 蔡氏(劉表妻) / 蔡風遼東太守) / 蔡瑁 / 張温 / 襄陽県 / 遼東郡 / 相 / 太尉 / 太守


蔡風Cai Feng

サイフウ

(?~121
遼東太守

遼東太守。「蔡諷」とも書く《後漢書》。蔡瑁の父蔡諷とは別人

句驪王宮勇壮で、その国の者に心服されており、しばしば辺境侵すことがあった。建光元年一二一)春、幽州刺史馮煥・玄菟太守姚光遼東太守蔡風らは軍勢率いて塞(万里長城)から出撃穢貊渠帥捕虜斬首して、兵馬財宝手に入れた後漢書東夷伝》。

宮は嗣子遂成二千余り授けて姚光らを迎え撃たせると同時に使者をやって偽りの降服申し入れた姚光らがそれを信じているうちに遂成険害拠って大軍遮り、(宮は)密かに三千人を派遣して玄菟遼東攻撃させ、候城県城焼き遼隊県二千余り殺傷した広陽漁陽右北平涿郡属国から三千余り動員して救援させると、宮軍は引き揚げていった東夷伝後漢書同伝》。

四月、宮は再び遼東鮮卑八千余りとともに遼隊を攻撃官吏殺害して民衆誘拐した。蔡風らは新昌まで追撃したが、そこで戦死した。功曹以下の属官身をもって蔡風を守ろうとしたが、みな陣中死んだ死者百人余り出した後漢書安帝紀・同東夷伝》。

参照】宮 / 蔡諷蔡瑁の父) / 蔡瑁 / 遂成 / 馮煥 / 姚光 / 右北平郡 / 漁陽郡 / 句驪 / 玄菟郡 / 候城県 / 広陽郡 / 新昌県 / 涿郡 / 幽州 / 遼隊県 / 遼東郡 / 遼東属国 / 穢貊 / 王 / 功曹 / 刺史 / 太守 / 鮮卑




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