ゴート諸民族の侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:29 UTC 版)
「古代末期のキリスト教」の記事における「ゴート諸民族の侵入」の解説
「ゲルマン人」、「フン族」、「ゴート族」、「ヴァンダル族」、「ブルグント族」、「ランゴバルド人」、「スエビ族」、および「民族移動時代」を参照 ゲルマン人のなかでゴート人はヨーロッパの端から端まで移動した唯一の部族であり、ローマ帝国の外にいる蛮族世界のリーダーといえる存在だった。ゴート人はもともとスカンジナビアにいたが、大陸に渡り、二つのグループに別れた。第一の集団はウクライナ、南ロシアに移動して、アマル系ゴート人、のちの東ゴート族となった。第二の集団はドナウ川下流から黒海放免に移動して、バルト系またはテルヴィンギ系ゴート族、のちの西ゴート族となった。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝は、ゴート人に建国を許可し、同盟を結んだ。 しかし、中央アジアから遊牧騎馬民族のフン族が375年にウクライナに到来すると、東ゴート族やアラン族が服従し、ゲルマン民族の大移動が開始された。376年には西ゴート族がフン族から黒海を追われ、ドナウ川を突破しローマ帝国領内に侵入を開始した。これ以降の西ゴート族とローマ帝国との紛争をゴート戦争ともいう。西ゴート族ではゴート人司教ウルフィラによってアリウス派キリスト教に改宗していたこともあり、ローマ帝国は同じキリスト教国家としてトラキアへの定住を許可した。この時に、蛮族は長城の外に留めおくという帝国の大原則が崩れた。
※この「ゴート諸民族の侵入」の解説は、「古代末期のキリスト教」の解説の一部です。
「ゴート諸民族の侵入」を含む「古代末期のキリスト教」の記事については、「古代末期のキリスト教」の概要を参照ください。
- ゴート諸民族の侵入のページへのリンク