ゴルフ界改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:13 UTC 版)
早くから米ツアーに挑戦した経験から、米ツアーの組織力、トーナメント運営力などを学び、選手会とのねじれが有ったJPGA (日本プロゴルフ協会) の組織と制度の改革を断行し、1997年に「ツアー・オブ・ジャパン」を発足させ、1999年にはPGAと完全分離した「JGTO (日本ゴルフツアー機構)」を立ち上げるなど、ゴルフ界改革を成し遂げた人物でもある。「JGTO」の選手会「JGTPC」 (ジャパンゴルフツアー選手会) の選手会長は1992年から、歴代最長の8年間務めた。2010年度も「JGTO」監事、2012年、13年ぶりに再び選手会長に就任した。また「JGTO」の副会長を務める。近年はスナッグゴルフの普及にも力を入れている。なおあだ名はデビュー当時は「ポパイ」であったが、米国ツアーに積極的に参戦するようになり「マッシー」と呼ばれている。マッシーは米国留学当時のニックネーム。自社名もマッシー・コーポレーション。 かつて宮里藍らの台頭で隆盛となっている女子に比べ、元気の無い男子ツアーに対しては、「日本女子プロゴルフ協会の広報面での努力もあるが、若手が出てきたということは、裏を返せばプロのレベルが低いということ。逆に男子はレベルが上がり、若手やアマが勝てる状態ではない。むしろゴルフとはこういうもの、と理解してもらった方がいい」と述べていた。また自身、男子ゴルフに初めてチタンヘッドを持ち込んだ選手としても知られる[要出典]が、用具の問題には危惧する。「今の男子ツアーは野球で言えば、両翼150メートルの球場にしたのに年間60本塁打の打者がたくさんいる状態。アマは別にして、プロの用具規制は必要」と訴えていた。
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