ゴラン・イワニセビッチとは? わかりやすく解説

ゴラン・イワニセビッチ

(ゴラン・イバニセビッチ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 17:13 UTC 版)

ゴラン・イワニセビッチ
Goran Ivanišević
2004年ウィンブルドンでプレーする
ゴラン・イワニセビッチ
基本情報
フルネーム Goran Šimun Ivanišević
国籍 クロアチア
出身地 ユーゴスラビアスプリト
居住地 モナコモンテカルロ
生年月日 (1971-09-13) 1971年9月13日(53歳)
身長 193cm
体重 81kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2020年
ツアー経歴
デビュー年 1988年
引退年 2004年
ツアー通算 31勝
シングルス 22勝
ダブルス 9勝
生涯通算成績 862勝558敗
シングルス 599勝333敗
ダブルス 263勝226敗
生涯獲得賞金 $19,878,007
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1989・94・97)
全仏 ベスト8(1990・92・94)
全英 優勝(2001)
全米 ベスト4(1996)
優勝回数 1(英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1990・94)
全仏 準優勝(1990・99)
全英 3回戦(1989・93)
全米 ベスト8(1997)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(1994年7月4日)
ダブルス 20位(1992年1月6日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナ シングルス
1992 バルセロナ ダブルス

ゴラン・シムン・イワニセビッチGoran Šimun Ivanišević, クロアチア語発音: [ɡǒran iʋanǐːʃɛʋitɕ], 1971年9月13日 - )は、クロアチアスプリト出身の元男子プロテニス選手、テニス指導者。ATPランキング自己最高位はシングルス2位、ダブルス20位。ATPツアーでシングルス22勝、ダブルス9勝。姓の原音により近い表記はイヴァニシェヴィッチであるが、報道等ではイワニセビッチが一般的である。

2001年ウィンブルドン選手権男子シングルス優勝者。また3度の準優勝がある。ATPマスターズシリーズ優勝3回。

プレースタイル

身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブを最大の武器とした1990年代を代表するビックサーバー。イワニセビッチのサーブは“サンダー・サーブ”という愛称で呼ばれ、左利きのクイックモーションから打ち出される高速サーブは、通算サービスエース数10,183本の歴代1位記録を長年保持した等、サービスエースを連発していた。(現在は、同国の後輩にあたるイボ・カロビッチが10,247本のサービスエースを記録し、更新している。)

選手経歴

プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王

1988年にプロデビュー。4大大会初出場は同年のウィンブルドン選手権で、1回戦でアモス・マンスドルフに敗れた。1989年全豪オープンでイワニセビッチはミロスラフ・メチージュとの準々決勝まで勝ち進み、同年の全仏オープンではステファン・エドベリとの4回戦まで進出している。イワニセビッチが世界的な知名度を高めたのは、1990年全仏オープン1回戦で第2シードのボリス・ベッカーを5-7, 6-4, 7-5, 6-2で破り、トーマス・ムスターとの準々決勝に進出した時だった(この全仏オープンは、第1シードのエドベリと第2シードのベッカーが同時に1回戦で敗退する珍事で幕を開けた大会であった)。続くウィンブルドン選手権で、イワニセビッチはノーシードから初めての準決勝に進出し、再びベッカーと連戦する。この時は6-4, 6-7, 0-6, 6-7で敗れたが、この一連の活躍で18歳のイワニセビッチは将来有望株として評判を高めた。

しかし、イワニセビッチのキャリアは苦難の連続だった。1992年ウィンブルドン選手権で初めての決勝進出を果たしたが、アンドレ・アガシに7-6, 4-6, 4-6, 6-1, 4-6のフルセットで敗れて準優勝。同年にはバルセロナ五輪において単複銅メダルを獲得している。1994年1998年にもウィンブルドン選手権の決勝まで進出するが、ともにピート・サンプラスに敗れ、3度の準優勝で“無冠の帝王”と呼ばれた。

イワニセビッチはウィンブルドン選手権での印象が強いためか、(最初期を除いて)他の4大大会での活躍はあまり目立たない。しかし1996年全米オープンではベスト4に進出している。ダブルスの分野でも、1990年1999年全仏オープン男子ダブルスでの2度準優勝があった。1990年の全仏男子ダブルスではペトル・コルダと組み、1999年ジェフ・タランゴと組んだ。

2001年ウィンブルドン初優勝

その後肩の故障から世界ランキングを大きく落とし、2001年ウィンブルドン選手権主催者推薦での出場となった。この年は第2週から連日雨に悩まされ、試合日程の消化が大幅に遅れたが、その過酷さを勝ち抜いて3年ぶり4度目の決勝進出を果たす。この道のりは、決して平坦ではなく、2回戦以降、カルロス・モヤアンディ・ロディックマラト・サフィンなどの強敵を次々と下し、準決勝では地元のティム・ヘンマンを7-5, 6-7, 0-6, 7-6, 6-3の死闘の末に退けた。決勝戦ではパトリック・ラフターと激闘を繰り広げ、6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7のフルセットの末に悲願のウィンブルドン初優勝を果たした。クロアチア人テニス選手の4大大会優勝は、1997年全仏オープン女子シングルス優勝者イバ・マヨリである。イワニセビッチは男子の初優勝者となった。

現役引退、その後

2004年ウィンブルドン選手権3回戦でレイトン・ヒューイットに2-6, 3-6, 4-6で敗れ、現役を引退した。

現役引退後は一時投資家として建設業などへ投資していたが、投資した事業がほとんど失敗し、一時は破産寸前に追い込まれたと伝えられている[1]

2011年のPBZザグレブ・インドアで後輩のマリン・チリッチと組んでダブルスに出場、1回戦で敗退している。またデビスカップ2012では、一時クロアチアチームの監督代行も務めた[1]

2014年から2016年の間マリン・チリッチのコーチに従事し[2]2014年全米オープン男子シングルスにてクロアチア人では自身以来の4大大会優勝に導いた。また2019年から2024年までノバク・ジョコビッチのコーチに従事した[3]

イワニセビッチは2020年に国際テニス殿堂入りを果たした。

人物

サッカー好きで、特に地元チームであるハイドゥク・スプリトのサポーターとして知られる[4]2001年ウィンブルドン選手権優勝後には実際に同チームと選手契約を交わしており、本当に試合に出場するのではないかとも噂された[5]。2013年現在、息子たちを4部リーグのNKクストシャでプレーさせているが、ハイドゥクとクストシャが直接対決した際にはハイドゥクの応援に回り、息子の不興を買った[6]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 49回 (22勝27敗)

大会グレード
グランドスラム (1–3)
テニス・マスターズ・カップ (0–0)
グランドスラム・カップ (1–1)
ATPマスターズシリーズ (2–5)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (7–5)
ATPインターナショナルシリーズ (11–13)
サーフェス別タイトル
ハード (3–8)
クレー (3–6)
芝 (2–4)
カーペット (14–9)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1989年5月22日 フィレンツェ クレー オラシオ・デ・ラ・ペーニャ 4-6, 3-6
準優勝 2. 1990年5月14日 ウマグ クレー ゴラン・プルピッチ 3-6, 6-4, 4-6
優勝 1. 1990年7月16日 シュトゥットガルト クレー ギリェルモ・ペレス=ロルダン 6-7(2-7), 6-1, 6-4, 7-6(7-5)
準優勝 3. 1990年8月20日 ロングアイランド ハード ステファン・エドベリ 6-7(3-7), 3-6
準優勝 4. 1990年9月10日 ボルドー クレー ギー・フォルジェ 4-6, 3-6
準優勝 5. 1990年9月24日 バーゼル カーペット (室内) ジョン・マッケンロー 7-6(7-4), 6-4, 6-7(3-7), 3-6, 4-6
優勝 2. 1991年6月17日 マンチェスター ピート・サンプラス 6-4, 6-4
準優勝 6. 1991年8月12日 ニューヘイブン ハード ペトル・コルダ 4-6, 2-6
優勝 3. 1992年1月5日 アデレード ハード クリシャン・ベリストロム 1-6, 7-6(7-5), 6-4
優勝 4. 1992年2月17日 シュトゥットガルト カーペット (室内) ステファン・エドベリ 6-7(5-7), 6-3, 6-4, 6-4
準優勝 7. 1992年3月3日 ミラノ カーペット (室内) オマール・カンポレーゼ 6-3, 3-6, 4-6
準優勝 8. 1992年7月5日 ウィンブルドン アンドレ・アガシ 7-6(10-8), 4-6, 4-6, 6-1, 4-6
優勝 5. 1992年10月5日 シドニー ハード (室内) ステファン・エドベリ 6-4, 6-2, 6-4
優勝 6. 1992年10月26日 ストックホルム カーペット (室内) ギー・フォルジェ 7-6(7-2), 4-6, 7-6(7-5), 6-2
準優勝 9. 1993年1月11日 ドーハ ハード ボリス・ベッカー 6-7(4-7), 6-4, 5-7
準優勝 10. 1993年5月10日 ローマ クレー ジム・クーリエ 1-6, 2-6, 2-6
優勝 7. 1993年9月13日 ブカレスト クレー アンドレイ・チェルカソフ 6-2, 7-6(7-5)
優勝 8. 1993年10月18日 ウィーン カーペット (室内) トーマス・ムスター 4-6, 6-4, 6-4, 7-6(7-3)
準優勝 11. 1993年10月25日 ストックホルム カーペット (室内) ミヒャエル・シュティヒ 6-4, 6-7(6-8), 6-7(3-7), 2-6
優勝 9. 1993年11月7日 パリ カーペット (室内) アンドレイ・メドベデフ 6-4, 6-2, 7-6(7-2)
準優勝 12. 1994年2月14日 シュトゥットガルト カーペット (室内) ステファン・エドベリ 6-4, 4-6, 2-6, 2-6
準優勝 13. 1994年7月3日 ウィンブルドン ピート・サンプラス 6-7(2-7), 6-7(5-7), 0-6
優勝 10. 1994年8月7日 キッツビュール クレー ファブリス・サントロ 6-2, 4-6, 4-6, 6-3, 6-2
準優勝 14. 1994年9月12日 ブカレスト クレー フランコ・ダビン 2-6, 4-6
優勝 11. 1994年10月10日 東京 カーペット (室内) マイケル・チャン 6-4, 6-4
準優勝 15. 1994年10月24日 ストックホルム カーペット (室内) ボリス・ベッカー 6-4, 4-6, 3-6, 6-7(4-7)
準優勝 16. 1995年5月14日 ハンブルク クレー アンドレイ・メドベデフ 3-6, 2-6, 1-6
優勝 12. 1995年12月18日 ミュンヘン カーペット (室内) トッド・マーティン 7-6(7-4), 6-3, 6-4
準優勝 17. 1996年1月15日 シドニー ハード トッド・マーティン 7-5, 3-6, 4-6
優勝 13. 1996年2月5日 ザグレブ カーペット (室内) セドリック・ピオリーン 3-6, 6-3, 6-2
優勝 14. 1996年2月12日 ドバイ ハード アルベルト・コスタ 6-4, 6-3
準優勝 18. 1996年2月19日 アントワープ カーペット (室内) ミヒャエル・シュティヒ 3-6, 2-6, 6-7(5-7)
優勝 15. 1996年3月3日 ミラノ カーペット (室内) マルク・ロセ 6-3, 7-6(7-3)
優勝 16. 1996年3月11日 ロッテルダム カーペット (室内) エフゲニー・カフェルニコフ 6-4, 3-6, 6-3
準優勝 19. 1996年3月31日 マイアミ ハード アンドレ・アガシ 0-3 途中棄権
準優勝 20. 1996年8月12日 インディアナポリス ハード ピート・サンプラス 6-7(3-7), 5-7
優勝 17. 1996年11月11日 モスクワ カーペット (室内) エフゲニー・カフェルニコフ 3-6, 6-1, 6-3
準優勝 21. 1996年12月3日 ミュンヘン カーペット (室内) ボリス・ベッカー 3-6, 4-6, 4-6
優勝 18. 1997年2月3日 ザグレブ カーペット (室内) グレグ・ルーゼドスキー 7-6(7-4), 4-6, 7-6(7-6)
準優勝 22. 1997年2月10日 ドバイ ハード トーマス・ムスター 5-7, 6-7(3-7)
優勝 19. 1997年3月2日 ミラノ カーペット (室内) セルジ・ブルゲラ 6-2, 6-2
準優勝 23. 1997年6月9日 ロンドン マーク・フィリプーシス 5-7, 3-6
優勝 20. 1997年10月13日 ウィーン カーペット (室内) グレグ・ルーゼドスキー 3-6, 6-7(4-7), 7-6(7-4), 6-2, 6-3
優勝 21. 1998年2月9日 スプリト カーペット (室内) グレグ・ルーゼドスキー 7-6(7-3), 7-6(7-5)
準優勝 24. 1998年7月5日 ウィンブルドン ピート・サンプラス 7-6(7-2), 6-7(9-11), 4-6, 6-3, 2-6
準優勝 25. 1998年8月17日 ニューヘイブン ハード カロル・クチェラ 4-6, 7-5, 2-6
準優勝 26. 1998年10月5日 上海 カーペット (室内) マイケル・チャン 6-4, 1-6, 2-6
準優勝 27. 1998年11月16日 モスクワ カーペット (室内) エフゲニー・カフェルニコフ 6-7(2-7), 6-7(5-7)
優勝 22. 2001年7月9日 ウィンブルドン パトリック・ラフター 6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7

ダブルス: 19回 (9勝10敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 1988年10月17日 フランクフルト カーペット (室内) リューディガー・ハース ジェレミー・ベイツ
トム・ネイセン
1-6, 7-5, 6-3
準優勝 1. 1989年10月2日 パレルモ クレー ディエゴ・ナルジーソ ペーター・バラウフ
リューディガー・ハース
2-6, 7-6, 4-6
準優勝 2. 1990年2月19日 ブリュッセル カーペット (室内) バラージュ・タローツィ エミリオ・サンチェス
スロボダン・ジボイノビッチ
5-7, 3-6
準優勝 3. 1990年6月10日 全仏オープン クレー ペトル・コルダ セルヒオ・カサル
エミリオ・サンチェス
5-7, 3-6
準優勝 4. 1990年8月20日 ニューヘイブン ハード ペトル・コルダ ジェフ・ブラウン
スコット・メルヴィル
5-7, 6-7
優勝 2. 1991年2月4日 ミラノ カーペット (室内) オマール・カンポレーゼ シリル・スーク
トム・ネイセン
6-4, 7-6
優勝 3. 1991年5月13日 ローマ クレー オマール・カンポレーゼ ローリー・ウォーダー
ルーク・イェンセン
6-2, 6-3
優勝 4. 1991年6月17日 マンチェスター オマール・カンポレーゼ アンドリュー・キャッスル
ニック・ブラウン
6-4, 6-3
準優勝 5. 1991年7月22日 シュトゥットガルト クレー オマール・カンポレーゼ ウォリー・マスアー
エミリオ・サンチェス
6-2, 3-6, 4-6
優勝 5. 1992年1月6日 アデレード ハード マルク・ロセ マーク・クラッツマン
ジェイソン・ストルテンバーグ
7-6, 7-6
準優勝 6. 1992年6月15日 ロンドン ディエゴ・ナルギソ ジョン・フィッツジェラルド
アンダース・ヤリード
4-6, 6-7
準優勝 7. 1995年4月17日 バルセロナ クレー アンドレア・ガウデンツィ トレバー・クロネマン
デビッド・マクファーソン
2-6, 4-6
準優勝 8. 1995年8月7日 ロサンゼルス ハード スコット・デービス ブレント・ヘイガース
ケント・キニアー
4-6, 5-7
優勝 6. 1995年9月11日 ボルドー ハード サシャ・ヒルシュゾン ヘンリク・ホルム
ダニー・サプスフォード
6-3, 6-4
優勝 7. 1996年3月3日 ミラノ カーペット (室内) アンドレア・ガウデンツィ ヤコブ・ラセク
ギー・フォルジェ
6-4, 7-5
優勝 8. 1997年2月3日 ザグレブ カーペット (室内) サシャ・ヒルシュゾン ブレント・ヘイガース
マーク・カイル
6-4, 6-3
優勝 9. 1997年2月10日 ドバイ ハード アレクサンダー・グルーン サンドン・ストール
シリル・スーク
7-6, 6-3
準優勝 9. 1999年6月7日 全仏オープン クレー ジェフ・タランゴ マヘシュ・ブパシ
リーンダー・パエス
2-6, 5-7
準優勝 10. 1999年8月2日 ロサンゼルス ハード ブライアン・マクフィー バイロン・ブラック
ウェイン・フェレイラ
2-6, 6-7

4大大会優勝

大会 対戦相手 試合結果
2001年 ウィンブルドン パトリック・ラフター 6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 通算成績
全豪オープン A QF 1R 3R 2R A QF 1R 3R QF 1R A 2R LQ 2R A A 19–11
全仏オープン A 4R QF 2R QF 3R QF 1R 4R 1R 1R 1R 1R A A A A 21–12
ウィンブルドン 1R 2R SF 2R F 3R F SF QF 2R F 4R 1R W A A 3R 49–14
全米オープン A 2R 3R 4R 3R 2R 1R 1R SF 1R 4R 3R 1R 3R A A A 21–13

脚注

  1. ^ a b イバニセビッチ、日本戦のみ監督を申し出たワケは何? - WOWOW・2011年12月20日
  2. ^ チリッチを“サーブの怪物”に変えたイワニセビッチ氏の徹底改造 - 日刊ゲンダイ・2014年9月9日
  3. ^ Djokovic Adds Ivanisevic To Coaching Team At Wimbledon”. ATP Tour (2019年6月30日). 2021年7月2日閲覧。
  4. ^ Goran's Split personality - the guardian・2001年7月15日
  5. ^ Goran's Split loyalties - BBC・2001年7月14日
  6. ^ 驚異の10代と節目に到達したポルトとブルバ - UEFA.com・2013年10月11日

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゴラン・イワニセビッチ」の関連用語

ゴラン・イワニセビッチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゴラン・イワニセビッチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゴラン・イワニセビッチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS