ギー・フォルジェとは? わかりやすく解説

ギー・フォルジェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/04 03:56 UTC 版)

ギー・フォルジェ
ギー・フォルジェ
基本情報
ラテン文字名 Guy Forget
国籍 フランス
出身地 モロッコ・カサブランカ
生年月日 1965年1月4日(51歳)
身長 190cm
体重 80kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1982年
引退年 1997年
ツアー通算 39勝
シングルス 11勝
ダブルス 28勝
生涯通算成績 767勝473敗
シングルス 380勝291敗
ダブルス 387勝182敗
生涯獲得賞金 $5,669,934
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1991・93)
全仏 4回戦(1986・91)
全英 ベスト8(1991・92・94)
全米 4回戦(1992・96)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(1996)
全仏 準優勝(1987・96)
全英 ベスト4(1992)
全米 ベスト4(1996)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 4位(1991年3月25日)
ダブルス 3位(1986年8月18日)

ギー・フォルジェGuy Forget, 1965年1月4日 - )は、フランスの元男子プロテニス選手。モロッコカサブランカ出身。左利きの選手。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス11勝、ダブルス28勝を挙げた。4大大会では、地元の全仏オープンで2度男子ダブルス準優勝がある。

来歴

フォルジェの家族は、祖父と父親もテニス選手という名門一家であった。1982年にプロ入りし、4大大会初出場となった全仏オープンジミー・コナーズとの3回戦に進出する。2年後の1984年、フォルジェは男子テニス国別対抗戦・デビスカップフランス代表選手に初選出された。1986年10月、フランストゥールーズ大会で男子ツアー大会のシングルス初優勝を達成。このトーナメントでは、かつて彼の祖父が1946年、父親が1966年に優勝したことがある。1987年全仏オープンで、フォルジェは同じフランスヤニック・ノアとペアを組んで男子ダブルス決勝に進出したが、アンダース・ヤリードスウェーデン)&ロバート・セグソアメリカ)組に 7-6, 7-6, 3-6, 4-6, 2-6 の逆転で敗れ、地元大会のダブルス優勝を逃した。先にフォルジェ&ノア組が第1・第2セットのタイブレークを連取したが、その後相手ペアに3セットを連取されて逆転負けを喫した。

ギー・フォルジェは1991年にキャリアの最盛期を迎え、全豪オープンウィンブルドンで初めてのベスト8に入ったが、両大会とも準々決勝でボリス・ベッカーに連敗する。この年、デビスカップフランス・チームは1932年以来59年ぶりの優勝を達成し、フォルジェとアンリ・ルコントがフランス・チームをデ杯での復活優勝に導いた。11月29日-12月1日にかけて地元フランスリヨンで開かれた「ワールドグループ」決勝戦で、フランスはアメリカを「3勝1敗」で破った。フォルジェはアンドレ・アガシとのシングルス第1試合を落としたが、第4試合でピート・サンプラスを 7-6, 3-6, 6-3, 6-4 で破り、この勝利でフランス・チームの優勝が決定した。[1] 59年前の1932年は、かつてのフランス「四銃士」と呼ばれたアンリ・コシェジャン・ボロトラジャック・ブルニョンたちが活動した時代である。その後、フランスは団体戦で長期間の低迷期に陥り、ワールドグループの下にある「ヨーロッパ・ゾーン」から出られない時期もあった。それだけに、フォルジェとルコントがデ杯復活優勝を実現させたことは、フランスのテニス関係者を大いに盛り上げる出来事であった。

その後のフォルジェは、ウィンブルドン1992年1994年にベスト8、全豪オープン1993年にベスト8進出があったが、4大大会の男子シングルスではベスト4以上に進むことができなかった。1996年全仏オープンで、フォルジェはヤコブ・ラセクスイス)とペアを組み、9年ぶり2度目の男子ダブルス決勝に進出する。2人はエフゲニー・カフェルニコフロシア)&ダニエル・バチェクチェコ)組に 2-6, 3-6 のストレートで敗れ、フォルジェはまたもや優勝を逃してしまう。1996年、フォルジェはデビスカップでフランス・チームを5年ぶりの優勝に導き、自らの競技生活で2度目のデ杯優勝を果たした。

フォルジェは優れたダブルス選手として、男子ツアー大会のダブルスで通算28勝を挙げたが、パートナーを組むことの多かった選手はヤニック・ノアアンリ・ルコントボリス・ベッカーヤコブ・ラセクなどであった。1990年10月の「セイコー・スーパー・テニス」では、ラセクとのペアで日本のトーナメントに優勝したこともある。1997年、ギー・フォルジェは32歳で男子テニスツアーから引退した。

選手引退後のフォルジェは、1999年から2012年までデビスカップのフランス・チーム代表監督を務めた。

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