コンパニーア・デ・フィリピナス時代とは? わかりやすく解説

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コンパニーア・デ・フィリピナス時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/27 15:53 UTC 版)

コンパニーア・デ・フィリピナス」の記事における「コンパニーア・デ・フィリピナス時代」の解説

コンパニーア・デ・フィリピナス」は、イギリスレンフルー英語版)にあるロブニッツ(英語版)社の造船所建造された。船体鋼鉄製で、動力三連レシプロ機関スクリュー1基で推進した1890年竣工したコンパニーア・デ・フィリピナス」は、スペイン煙草貨物船としてスペインの植民地だったフィリピン就航した1898年米西戦争起きると、同年7月5日、「コンパニーア・デ・フィリピナス」ではフィリピン同じくスペイン植民地だったキューバ独立主義者扇動フィリピン人乗員反乱起こしスペイン人士官殺害された。「コンパニーア・デ・フィリピナス」を乗っ取ったフィリピン人乗員は、フィリピン共和国旗を掲げると、マニラ湾に入泊してフィリピン独立派の「海軍」に参加した。これより前の同年5月マニラ湾海戦フィリピン駐留スペイン艦隊全滅しており、フィリピン制海権アメリカ海軍掌握していたが、スービック湾に浮かぶグランデ島ではスペイン人300人が籠城続けていた。そこで、「コンパニーア・デ・フィリピナス」はボイラー管を大砲見せかけ装備し武装兵乗船させると、スービック湾出撃した。しかし、「コンパニーア・デ・フィリピナス」がスービック湾に入ると、居留民保護目的展開したドイツ帝国海軍イレーネ防護巡洋艦イレーネ英語版)」によって投降勧告受けたため、退却した。なお、グランデ島のスペイン軍は、事件知って出動したアメリカ艦隊降伏した米西戦争・米比戦争生き延びたコンパニーア・デ・フィリピナス」は、フィリピン・タバコ会社英語版)の所有する商船として使用された。

※この「コンパニーア・デ・フィリピナス時代」の解説は、「コンパニーア・デ・フィリピナス」の解説の一部です。
「コンパニーア・デ・フィリピナス時代」を含む「コンパニーア・デ・フィリピナス」の記事については、「コンパニーア・デ・フィリピナス」の概要を参照ください。

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