コンパニーア・デ・フィリピナス時代
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「コンパニーア・デ・フィリピナス」の記事における「コンパニーア・デ・フィリピナス時代」の解説
「コンパニーア・デ・フィリピナス」は、イギリスのレンフルー(英語版)にあるロブニッツ(英語版)社の造船所で建造された。船体は鋼鉄製で、動力は三連成レシプロ機関、スクリュー1基で推進した。1890年に竣工した「コンパニーア・デ・フィリピナス」は、スペインの煙草用貨物船として、スペインの植民地だったフィリピンに就航した。 1898年に米西戦争が起きると、同年7月5日、「コンパニーア・デ・フィリピナス」ではフィリピンと同じくスペイン植民地だったキューバの独立主義者の扇動でフィリピン人乗員が反乱を起こし、スペイン人の士官が殺害された。「コンパニーア・デ・フィリピナス」を乗っ取ったフィリピン人乗員は、フィリピン共和国旗を掲げると、マニラ湾に入泊してフィリピン独立派の「海軍」に参加した。これより前の同年5月のマニラ湾海戦でフィリピン駐留のスペイン艦隊は全滅しており、フィリピンの制海権はアメリカ海軍が掌握していたが、スービック湾に浮かぶグランデ島ではスペイン人300人が籠城を続けていた。そこで、「コンパニーア・デ・フィリピナス」はボイラー管を大砲に見せかけて装備し、武装兵を乗船させると、スービック湾に出撃した。しかし、「コンパニーア・デ・フィリピナス」がスービック湾に入ると、居留民保護の目的で展開したドイツ帝国海軍のイレーネ級防護巡洋艦「イレーネ(英語版)」によって投降勧告を受けたため、退却した。なお、グランデ島のスペイン軍は、事件を知って出動したアメリカ艦隊に降伏した。 米西戦争・米比戦争を生き延びた「コンパニーア・デ・フィリピナス」は、フィリピン・タバコ会社(英語版)の所有する商船として使用された。
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