コモドール倒産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 17:02 UTC 版)
1994年6月、Amigaの生みの親であるジェイ・マイナーが死去。その2か月後にコモドールは倒産する。Amiga 4000のタワー型筺体「Amiga 4000T」が型番的にはAmigaシリーズ最後の、そしてコモドール最後のハードとなっている。コモドール倒産前、ヒューレット・パッカード社製のペンティアム互換CPU、AGAチップセットを上回るAAAチップセット搭載、Windows NT駆動のAmiga 6000の制作が発表されるが、結局このマシンは日の目を見ることはなかった。 コモドール倒産後、Amigaの版権は各社を転々とする。コモドール末期のハードAmiga 4000Tなどは、版権を受け継いだドイツのEscom社の下で生産された出荷数のほうが多い。Amigaはドイツではまだ人気があったし、他の国でも特定の方面には依然として大きな需要があったが、親会社の経営方針のために倒産の時点でハードの開発が止まってしまい、MacやPCに対して性能的にどんどん水をあけられ、一方ではLightwaveなど主要なサードパーティー製ソフトの他機種への移植も進み、徐々に表舞台から姿を消してゆく。時を同じくして他のホームコンピュータ(MSXやイギリスのAcorn Archimedes、日本ではFM TOWNSやX68000などがこれに当たる)も次々と製造を終了していき、パソコン市場はPC/AT互換機とMacintoshが席巻するようになった。
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