コパルスクエア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/10 09:26 UTC 版)
このシャッターの量産化を担当したコパルは、基本設計はそのままに、OEM供給がしやすいユニット構造とし、1960年(昭和35年)にコパルスケヤ(後にコパルスクエアと改名された)と命名してカメラメーカーに供給した。ニコン、マミヤ、コニカ、キヤノン、オリンパスなどの一眼レフカメラに採用され、性能・耐久性に優れたシャッターとして高い評価を得た。 その後茶谷とコパルの関係は悪化。茶谷は事前に特許を取得しておりコパルから継続的にライセンス料を受け取っていたが、コパルが独自に実用新案を取得しライセンス料の支払いを拒んだため訴訟に発展した。この訴訟は10年間に及び、訴訟費用を捻出できなかった茶谷は訴訟継続を断念した。 コパルスクエアの発表時に多くの採用があったにも係わらず、その後、採用が中断してしまった理由のひとつに、この訴訟があったのかも知れない。 しかし、1982年(昭和57年)に登場したニコンFM2はニコンとコパルの共同開発によるシャッターを採用しており、世界初の1/4000秒と同調速度1/200秒を実現していた。もちろん縦走りで金属幕を採用しており、茶谷の着眼点、基本設計の優秀さを表しているともいえた。
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