コネチカット認証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:48 UTC 版)
「エドマンド・アンドロス」の記事における「コネチカット認証」の解説
アンドロスの任務にはコネチカットが含まれていたので、コネチカット総督のロバート・トリートには、ボストン到着後まもなく植民地認証を取り下げるよう求めた。その役人が直ぐに自治領に従ったロードアイランドとは異なり、コネチカットの役人は正式にアンドロスの権限を認めたが、アンドロスを援助することはほとんどしなかった。彼らは認証に従って植民地政府の運営を続け、四半期ごとに議会を開会し、植民地全体から選ぶ役人の選挙を行った。一方トリートとアンドロスは認証を取り下げることについて交渉を行った。 1687年10月、アンドロスはつにコネチカットに旅して自ら事態を監督することに決めた。衛兵を伴い、ハートフォードには10月31日に到着し、その夜には植民地の指導層と会談した。伝説に拠れば、この会合で認証はあらゆる者が見られるよにテーブルの上に広げられていた。部屋の灯りが突然消え、再度点灯されたときに、認証が消えていた。認証は近くのオークの木に隠されていたと言われており(後に認証オークと言われるようになった)、近くの建物を探しても認証を見つけられなかった。 その日のことで何が真であったとしても、コネチカットの記録はその政府が正式にその公章を取り下げ、その日に運営を止めたとしている。続いてアンドロスは植民地中を旅し、裁判官やその他の指名を行い、その後にボストンに戻った。1687年12月29日、自治領評議会は正式にその法をコネチカット州まで拡大し、ニューイングランド植民地の同化を完了した。
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