コタンタン半島への進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:44 UTC 版)
「シェルブールの戦い」の記事における「コタンタン半島への進撃」の解説
この成功によってアメリカ第7(VII)軍団がコタンタン半島を分断するために西へ進撃することが可能となり、さらに3個歩兵師団が上陸していた。その指揮官であるジョーゼフ・ロートン・コリンズ少将は最前線の部隊を交代させ、進撃が遅い場合はその指揮官を首にして進撃を急がせた。アメリカ第7軍団の進撃路を塞いでいるドイツ軍はいくつかの師団から形成された混合した部隊であったが、上陸作戦の初日、すでに空挺部隊との戦闘で多数の犠牲者を出していた。実際、この部隊は東にあるカーンへの脅威が存在しているため、この地域だけに対応するわけにはいかなかった。アメリカ軍の増援歩兵師団はのんびり到着した。ドイツ軍はドーブに殺到したが、アメリカ軍はコタンタン半島の南側を確保しつつあった。 6月16日までには自然の要害は克服されドイツ軍は混乱気味であった。エルヴィン・ロンメルを含むドイツ軍の指揮官たちはシェルブールにおける大西洋の壁へと部隊を退却せようとし、部隊はしばらくの間、包囲に耐えた。しかし、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは東プロイセンの司令部からドイツ軍がその地区を保持するよう命令要求した。6月17日遅く、ヒトラーはシェルブールの南でコタンタン半島全体を防衛する新たな防衛線を構築することに同意したがロンメルはこの命令に抗議した。しかし、第LXXXIV(84)軍団司令官はこの裏をかこうとした。
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