コタルディの誕生とは? わかりやすく解説

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コタルディの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/24 12:01 UTC 版)

コタルディ」の記事における「コタルディの誕生」の解説

13世紀頃、ヨーロッパにおける武装大きな転換期を迎えるこのころ騎士たちの鎧は、それまで一般的だったチェーンメイル鎖帷子)から、プレートアーマー呼ばれる鉄板加工した鎧へと変化したチェーンメイルは膝丈までのワンピースのような形をしていたので、緩やかな衣服を鎧下に着ることができた。弓矢ナイフ、広刃の剣の防御に対しては有効であったが、ある程度重量を伴う攻撃に対してはほとんど意味をなさなかった。また、腕や脚部覆われていないために、皮革などの手袋やすね当て鉄板を鋲で打ち付けるなどして補助鎧に充てた。 プレートアーマー補助的な鉄板使用全身及んだもので、イタリアミラノ主な生産拠点として知られる打撃に対して優れた耐久性誇り動きやすいことから大変人気が出た。 鎧下にギャンベゾン呼ばれる刺子衣服身につけるのだが、プレートアーマーは体にぴったりとフィットしないと動きにくいため、緩やかな鎧下を着られなかった。必然的に騎士たちは体にぴったりした衣装身につけることとなった。 このギャンベゾンコタルディ原型である。 プレートアーマー一大産地ミラノ擁するイタリアでは、もともと温暖な気候から軽快衣服求められていたこともあり、瞬く間に、若者たちの間に体のラインがはっきりと出る短くて軽快衣装流行するイタリアでタイトな衣装仕立てることができたのには、東方世界からもたらされボタンいち早く知られていたという理由もある。ボタン発祥の地中国で、衽のない緩やかな前開き衣装を着る中近東広くつかわれ、イスラム教徒商人たちによってヨーロッパもたらされた。たくさんのボタンを使うことで、それまでの紐で縛ったブローチ留めるヨーロッパ衣服には不可能だった、体にぴったりとした衣装仕立てることができた。

※この「コタルディの誕生」の解説は、「コタルディ」の解説の一部です。
「コタルディの誕生」を含む「コタルディ」の記事については、「コタルディ」の概要を参照ください。

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