ココチュの増長と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 02:40 UTC 版)
「ココチュ (コンゴタン部)」の記事における「ココチュの増長と死」の解説
『元朝秘史』によると、増長したココチュの一族はある時チンギス・カンの弟のジョチ・カサルを取り囲んでこれを打ち据えた。カサルはこれをチンギス・カンに訴え出たものの、別事で怒っていたためチンギス・カンはカサルの訴えに耳をかさず、思い悩んだジョチ・カサルは3日間チンギス・カンと顔を合わさなかった。その間、ココチュはジョチ・カサルが帝位を狙っているとチンギス・カンに吹き込んだため、これを真に受けたチンギス・カンは自らジョチ・カサルの下を訪れ問い詰めようとした。この一件を察知したオッチギン王家に仕えるクチュとココチュはホエルンに事の次第を報告し、事情を知ったホエルンがチンギス・カンを説得したことでジョチ・カサルは一旦許された。しかし、その後密かにチンギス・カンはカサル家の部民を奪い取ってしまい、カサル家の千人隊長ジェブケはバルグジン地方に逃れてしまった。 ますます増長したココチュの下には多くの民が集まり、チンギス・カンの末弟のテムゲ・オッチギンの部民も一部がココチュに奪われた。これを知ったオッチギンはソコルという使者(イルチ)をココチュの下に派遣したが、ココチュはオッチギンの訴えを嘲弄した上で使者を笞討たせ、徒歩で帰らせた。激怒したオッチギンは自らココチュの下を訪れたが、ココチュの一族に取り囲まれたオッチギンは謝罪と土下座を強要されるという屈辱的な仕打ちを受けて帰ることになった。オッチギンはカサルと同様にチンギス・カンに直接訴え出た所、隣にいた妻のボルテも涙ながらにココチュの増長を放置してはおけないと訴えたため、チンギス・カンはようやくオッチギンに何らかの対処をせよと命じた。 オッチギンはココチュがチンギス・カンの下を訪れる時を見計らって配下の力士3人を近くに潜ませ、ココチュが自らの一族とともに訪れると、オッチギンは自ら相撲の勝負をココチュに挑んだ。両者ともに襟首を掴んで組み合ったところ、ココチュの帽子が落ち、それをモンリクが拾った。それを見ていたチンギス・カンは外で勝負を続けるように命じ、外に引きずり出されたココチュはオッチギンの3人の力士に取り囲まれて背骨を折られ、殺された。 なお、『集史』では「チンギス・カンとココチュが対立したため」「チンギス・カンの命を受けたジョチ・カサルによって殺された」と記されており、「チンギス・カンの弟達とココチュが対立したため」「チンギス・カンから対処を命じられたテムゲ・オッチギンの指示によって殺された」とする『元朝秘史』の記述と細部が食い違う。この点について宇野伸浩は『元朝秘史』ではモンリク・エチゲがホエルンと再婚したことを伏せる傾向があることを指摘した上で、「義父の息子を殺害させた」という悪評を避けるため『元朝秘史』ではチンギス・カンの関与をなるべく排除した語り口になっているのだ、と指摘している。
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