ゲットー管理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/03 17:05 UTC 版)
この後、ユダヤ人が多数暮らしているポーランドの都市部にはゲットーが次々と創設され、ユダヤ人はそこへ押し込まれていった。さらに独ソ戦開始後にはドイツ軍が占領したバルト三国やソビエト連邦西部の各都市にもユダヤ人評議会が組織され、ゲットーが創設されていった。 ゲットーの日常的運営はユダヤ人評議会に任せられ、一応ユダヤ人の自治の形が整えられた。評議会はゲットー外のドイツ当局から命令を受けた時には逆らうことは一切できなかったが、ゲットー内においては、警察業務・公衆衛生・福祉・食料調達・仕事の斡旋・福祉・水道・光熱といったサービスの提供を可能な限り行い、一定の政治権力を行使した。 ゲットー外のドイツ当局の命令には逆らえない点では全てのユダヤ人評議会は共通していたが、ゲットー内における評議会の権力には強弱があった。たとえばワルシャワ・ゲットーの評議会は比較的自由な統治を行い、ゲットー内は自由経済で運営されていたが、一方ウッチ・ゲットーでは評議会議長ルムコフスキによる独裁的な政治が行われ、統制経済で運営されていたので各方面に評議会が影響を及ぼした。 評議会メンバーはその権力から他のゲットー住民と比べてかなりの余得を持っており、住民から批判を受けることが多かった。しかも評議会が社会福祉事業を次第に行わなくなってきたことで、ゲットー内では様々な地下組織や相互援助組織が作られていくこととなった。ワルシャワ・ゲットーではこれらの組織は評議会と一定の協力関係にあったが、独裁的な体制下にあったウッチ・ゲットーでは完全に評議会と敵対関係になった。
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