ゲイディスコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)
詳細は「日本のゲイ文化#クラブカルチャー」を参照 1970年-80年代は東京や大阪、名古屋では、ゲイディスコがブームになっていた。1976年、新宿五丁目の靖国通り沿いの瀟洒な白いビル、Qフラットに美輪明宏が「クラブ巴里」を出店。このビルの地下には「ブラックボックス」という当時としては最も進んだ異色のゲイディスコがあり、パンク風スタイルのゲイや外国人のモデルらが集まった。ブラックボックスは1970年代を代表するディスコでもあり、黒く塗られた店内はミラーウォールがあり、テーブルや椅子として四角い箱が転がっていた。入場料は当然、男性の方が安かった。その他、二丁目では「MAKO」、大阪・堂山町では「クリストファー」が有名で、名古屋では「ハーフボーイ」などがあった。このゲイディスコブームはバブル期以降のゲイナイト文化へと引き継がれていった。
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