グスマン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:48 UTC 版)
1870年から1888年までをグスマン時代と呼ぶ。1870年に内戦を収めて政権を握ったアントニオ・グスマン・ブランコは、自由主義的カウディージョとして国内の近代化を進め、アメリカ合衆国とフランス、特にパリに憧れ、カラカスをパリ風に改造することに力を注いだ(当時のブエノスアイレスでも同じことが行われた)。18年間の在任中に反教会政策(1/10の税の撤廃、公教育の世俗化、教会財産の没収など)、鉄道の敷設、自由貿易などによってベネスエラの近代化を図り、特にベネズエラの鉄道のほぼ全てといって良い区間が、この時期にイギリス資本とドイツ資本によって開発されている。ボリーバルの名誉回復もブランコによって積極的に進められ、この時代にアルゼンチンやペルーでサン=マルティンがそうなったように、ボリーバルも国民統合のシンボルとして価値を再発見された。しかし、1888年にパリに外遊中に保守派や独裁に反抗する勢力の反乱により失脚した。この時代は経済のモノカルチャー化が進み、1880年代にはコーヒーが輸出総額の55%を占めるまでの主要産業となり、1890年代にはおよそ80%に達した。 1895年に英領ギアナ(ガイアナ)を巡ってのイギリスとの国境紛争があったが、米国の調停により和解した。しかし領土問題は今も続いている。
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