クハ103形2000・2050番台
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「国鉄103系電車」の記事における「クハ103形2000・2050番台」の解説
1986年(昭和61年)の関西本線(大和路線)と阪和線の編成短縮・編成数増加政策に伴い先頭車が不足したため、余剰となった101系の先頭車が改造・編入された。種車によって以下の番台区分とされた。 クハ103形2000番台 非冷房のクハ100形から改造された車両。奈良電車区に配属され、主に関西本線で運用。クハ100-92・35・31・60→クハ103-2001 - 2004 クハ103形2050番台 非冷房のクハ101形から改造された車両。日根野電車区に配属され、主に阪和線で運用。クハ101-78・83→クハ103-2051・2052 前述のサハ103形750番台同様、車体には手が加えられていないが、101系と本系列では前面の窓形状が異なっているため、差異が目立っている。冷房装置・側面行先表示器の搭載は未施工のままであった。分割民営化時には2000番台・2050番台の全車がJR西日本に継承された。 1989年8月27日、阪和線で6両編成の和歌山発天王寺行き快速列車での運用中にクハ103-2051のブレーキが効かなくなり、天王寺駅の車止めに衝突した。2051は日根野電車区で修復されたものの、営業運転に復帰することなく1991年9月30日付で廃車となった。2052は1991年(平成3年)に阪和線のATS-P形化に際し対応工事を施工されないまま京阪神緩行線に転用され、その後明石電車区の訓練車となったが、1992年11月30日付けで廃車となった。 関西線の2000番台も運用期間は短く、1991年度中に営業運転から撤退した。1992年(平成4年)までに全車廃車され、101系から改造のクハ103形は区分消滅した。
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