キンナ派のローマ進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「キンナ派のローマ進軍」の解説
国内ではキンナが同盟市戦争の結果市民権を与えられた新市民を、全35トリブスに登録する法を通過させ、マリウスを亡命から呼び戻す法案を提出した。それに反対する同僚執政官グナエウス・オクタウィウスや旧市民とローマで市街戦となり、キンナは追放された。キンナはノラを包囲するローマ軍を買収し、マリウスを北アフリカから呼び戻すと、ローマに進軍して占領した。執政官に復帰したマリウスとキンナはスッラと同じく敵対派閥への粛清を行った後、更に中立派の貴族達も処刑するなどより苛烈な復讐を行った。スッラは彼らによって国家の敵(hostis)とされた。 しかし翌前86年1月13日、マリウスは急逝した。キンナは補充執政官としてルキウス・ウァレリウス・フラックスを選出し、2個軍団を率いさせマリウスの代わりにミトリダテス戦争に送り出した。経験の浅いフラックスを補佐するレガトゥスとしてガイウス・フラウィウス・フィンブリアを付けたが折り合いが悪く、人徳のないフラックスから指揮権を取り上げたフィンブリアはフラックスを殺害し、更にミトリダテスと戦って彼をミュティレネまで追いやった。フィンブリアはイリオスなどを荒らし回り、被害を受けた都市はスッラに助けを求める始末だった。
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